前回の続きです。
2011年は夏に、2020年は秋に訪れましたが、それ以外はGWに行っています。
その場の空気や雰囲気をできるだけ直接感じたいので、メインの交通手段バイク。前日の夜に出発し、9時ごろ「いわき」に到着。それから北上というルートを使います。
宿は福島か郡山に取り、内陸部と海岸部を連日往復します。これは毎年ほぼ決まったル-トなので、どのように風景が変化しているかがよくわかります。
この数年は復興にもスピ-ド感があり、力強ささえ感じます。もちろん手つかずのところも残っていますが、方向性が定まった感があるのでさらに加速されていくでしょう。
この変化を生で見たいという気持ちで福島を訪れるようになったのですが、この気持ちを絶対的にした出来事があります。
2012年のことです。海沿いの道を走っていると、遠くの内陸側に大きな建物が。近づいてみるとそれは学校でした。問題はその隣。校舎と同じ高さかそれ以上のがれきが積み上げられていたのです。まるで校舎がもう一つあるように見えました。
当時の豊間中学校です
バイクを停めて近づこうとすると、校舎入り口近くの詰所にいた警備員から制止されたため外から見るにとどめましたが、ひどい有様でした。まともそうに見えるのはコンクリ-トの外壁だけ。窓や校内、屋外の付属物などは完全に破壊されていました。
警備員に聞いたところ、犠牲になった生徒はいなかったということで安心しましたが、これほどの力で押し寄せた津波で誰も亡くならなかったのは、よほど避難がうまくいったのかタイミングがよかったのか、はたまた強運だったのか。
それでも第2の生活の場ともいえる学校がこのように破壊の限りを尽くされたというのは、生徒たちにPTSD並みの傷を与えてしまったことでしょう。
何とも言えない気持ちでバイクに戻ろうとすると、近くに車が停車。2人の若い女性が降りてきて、
校舎を背景に、ピースしながら並んで自撮り。
自分の髪の毛が逆立つのがわかりました。
こんな状況下でこんなことをする輩がいたのです。
腹立たしさ悲しさ情けなさ辛さ苦しさ情けなさ恥ずかしさもどかしさやるせなさ
たくさんの感情が一瞬で押し寄せてきたため、数秒間ではありますが思考が洗い流されてしまいました。そう、この津波のように。
怒鳴ろうとしましたが、思考が身体についてきません。「記念撮影」の後すぐ、彼女らはこちらも見ずにその場から撤収。
彼女たちにとってはこの震災は「イベント」、そしてアイコン的な被災地を巡るのは「アトラクション」だったのかもしれません。
爆発しそうな心を抑えられず、しばらく道端にうずくまって泣きました。
この年、あちこちで似たようなことを見てしまいました。そいつらの多くは SNS で情報を発信しているようです。この時から震災の情報が信用できなくなってしまいました。だって、あんな「ひとでなし」が振りまいているのですから。
こういうことがあったので、「自分の目で見て考えよう。そしてどの情報が正しいか見極めよう。思考誘導や手垢のついた言葉にはだまされんぞ。」と強く考えるようになり、福島詣でを続けています。
時々「今年はもういいかな」と思うこともありますが、実際に行ってみると毎年新しい景色や発見があります。今後も、力を取り戻しつつある人の力や町の力を見せてもらいに行くつもりです。
もう一つの出来事。これはうまく表現できないので、短く書きます。
あとは読んだ方の想像にお任せします。
2012年。更地にぽつんと小さなお地蔵さん。新しいものでした。その近くには大きなこいのぼり。でも見渡す限り家はありません。例年そこに寄ってお地蔵さんに手を合わせ、風になびくこいのぼりを見ながら一服するようになりました。
4回目にその地を訪れると、こいのぼりはありませんでした。
その意味を理解しました。
涙が止まりませんでした。
では。