paradoxriderの日記

バイクや車、カメラなどのことに触れていきたいと思います

日本紀行 第7回 福島

そろそろ冬物の服がクリーニングに出される時期になりました。ツーリングやドライブには最適の時期になるわけですが、寒さに代わる敵、花粉が出てきます。数年前からコイツは、ワタシにとってボギーからバンディットに変わりました。

 

それまでは「花粉症?軟弱者め!花粉ごときに人間様がやられるなんて情けない!」と思っていたのですが、無事ワタシもお仲間に。

 

特にバイクで走っていると、左目がショボショボし始め、だんだん刺すような痛みと溢れ出る涙で目を開けていられなくなり、ピットインを余儀なくされます。30分ほど左眼が号泣したら、涙で洗い流されるのか、何事もなかったように復活します。で、一回なったらそのシーズンではもう起きません。それが起こるのが4月中旬から約1ヶ月の間です。GWツーリングまでには出といてほしいなあ。

 

左目だけというのも不思議な話です。でも、これって花粉症なのでしょうか???

 

 

東北6県の締めくくり、福島県についてです。

 

今まで何度も書いている通り、2011 年から現在まで毎年通っています。これは東日本大震災の実際の姿とその復興の様子を自分の目で見たいというのがその理由でした。

 

ではなぜそんなに福島のことが気になるのか?

 

なぜなら、学生時代によく福島へ行っており、馴染みがあったからです。茨城からツーリングに行くのにはちょうどいい距離でした。

 

学生時代、高速道路はブルジョアが使うものだと思っていたので、当然すべて下道。R294(茨城街道)の酷道っぷりは、今考えても恐ろしいぐらいです。今ではバイパス状になっているので快適ですが、当時の道は安房峠の旧道を3つつなげたような道でした。

 

そんなハイレベルな道を、バイクサ-クルの先輩たちの叱咤激励を浴びながら半べそをかいて何とか走り切り、猪苗代湖磐梯山近辺を回り、五色沼湖畔でキャンプをするというのが恒例の流れ。よく行くものですから、キャンプをする場所にに掘っ立て小屋まで作ってしまいました。

 

ある年、キャンプ地近くの正確な地図(1枚物)を大学近くの国土地理院へ買いに行ったら、その小屋が載っているではありませんか!!さすが国土地理院。あんなボロ小屋でも見逃さなかったようです(驚)。

 

地元に帰って来ても、東北体験初級コ-スとして福島へは何回か行きました。よく使ったルートは、新潟から内陸へ向かう R252 を走るというもの。かなり楽しめる道でした。

記念碑を作りたくなるのもわかる道です

 

 

この山岳路を走っていると、倉庫らしきものを通り過ぎた時に「***駅」という看板がその建物にあるのが視界をかすめ、「ん?」と思って引き返してみると・・・

 

当時の田子倉駅

 

建物はありますが、どこにも線路がありません。中には階段があり、おそるおそる降りてみると、

誰が使うんだろう???

ありました、線路が。こんな山の中で利用客もいないのに駅があるのが不思議でした。ダム工事をしていた当時に、それ用に作られたものでしょうか?

 

田子倉ダム でかい!

ダイナミックさとせせこましさが同居したような道や風景が好きになり、よく通るようになりました。この辺りは紅葉が見事なので、鉄道に乗ってその景色を見たいなあと思っていたら、只見あたりで橋が豪雨で流され、廃線の危機に。

2015年撮影

でも復活するらしいので、今から楽しみです。

 

「洗い越し」を走ってみたいがために一度だけ R352 を走りましたが、さすがに「酷道」と呼ばれるだけにチャレンジングな道でした。いろんな道を走ってきましたが、走り終えた後で「コーナ-を見るのもイヤ」と思ったのはこの道だけです。これに比べれば R439 なんてカワイイもの。すごい道でした・・・。

 

 

他にも福島には走りごたえのある道が多く、磐梯吾妻スカイライン

浄土平 晴れ!!!


磐梯山ゴールドライン磐梯吾妻レークラインといった、「走って楽しい、見て楽しい」というワインディングがあります。晴れてたら気持ちいいですねぇ。ワタシが行くとどの道かでは必ず雨にやられますが。

 

 

また、歴史がらみと言えば、さざえ堂

説明書きを見ても構造がよくわからん・・・

や白虎隊がらみの地

悲惨というより哀れ

 

日新館

これは現代でも通用するなぁ

 

あと、写真がないのですが、野口英世記念館河井継之助記念館は見ごたえがありました。

 

美味しかった印象が残っているのは喜多方ラ-メン坂内食堂まこと食堂来夢)と羊羹(秘境羊羹)ですかね。この羊羹は只見駅でたまたま見かけて買って帰ったのですが、食べてビックリ!昔ながらのパンチの効いた、田舎風のどっしりした味でした。5本くらい買って帰ればよかったと後悔したものです。

 

 

この10年くらいは高速で福島まで行き、帰りは太平洋側を南下して戻るというル-トを使っていますが、以前は日本海側を北上して新潟経由で福島入りし、帰りは内陸側に戻ってから南下して寄り道しながら日光方面に向かうルートを使っていました。

こんな所にも寄りました(上:大内宿 下:塔のへつり

 

ある年、夏に福島へ行った帰りに、西会津に向かってバイクを走らせていました。道路は整備されて集落もほどほどにある、典型的な田舎の川沿いの山間道を楽しんでいると、中学生ぐらいの集団が歩いていました。すれ違った時に見たものは

 

スク水+Tシャツ姿の健康的な女子生徒の集団!

 

その姿はエロくなく、山間部の昔ながらの景色に不思議なくらい見事に溶け込んでしました。

 

犯罪もなく平和な地域なのでしょう。治安や見た目を過剰に気にしなければならない、ギスギスした現代からは忘れられた風景だなあと思いました。

 

久しぶりに「昭和」を見た感じがして、ほのぼのしました。

 

 

またある年、秋に福島へ行った帰りに、またまた西会津に向かってバイクを走らせていました。道路は整備されて集落もほどほどにある、典型的な田舎の川沿いの山間道を楽しんでいると、子供たちの集団が道端で遊んでいました。すれ違った時に見たものは

 

全員、はんてんを着用!

 

その姿は民話の挿絵のように、山間部の昔ながらの景色に見事に溶け込んでしました。

 

犯罪もなく平和な地域なのでしょう。流行や見た目を過剰に気にしなければならない、ギスギスした現代からは忘れられた風景だなあと思いました。

 

久しぶりに「昭和」を見た感じがして、ほのぼのしました。

 

 

そんなこんなで、ワタシにとって福島とは過去を思い出させてくれる所であり、同時に、地道に少しずつでも未来へ進もうとする力を見せつけてくれる地でもあります。また訪れるのが楽しみです。

 

 

ではまた。