paradoxriderの日記

バイクや車、カメラなどのことに触れていきたいと思います

思い立ったが九州 2/2

2 日目の行程です。やはり「行く日」と「帰る日」だけというのは慌ただしいので十分には楽しめません。それでも見所となるところはあったので、今回の旅行は合格点だったかな。

 

ではその行程をどうぞ。

 

 

6:15 起床。まだ真っ暗。西の地だけあるな。ごぞごぞと準備を済ませる。バイクや公共交通機関を使うときは装備や予定の確認をして時間がかかるものだが、クルマの場合は自分の部屋ごと動くようなもの、ましてや今日の立ち寄り予定場所は 1 箇所だけなので特に用意をすることもなく、あっという間に終了。

 

前日にフロントで知ったのだが、今朝は団体さんが 30 分刻みで朝食に来るらしい。なので時間を見てレストランに行こう。ということで 7 時前に 1F に下りる。

7 時前 まだ暗い やはり西だからか

 

スポーツ団体や運動部の高校生たちが団体客だった。たくさん食べているのだろう、日曜の早朝にも関わらず食堂は混雑。

¥5000 以下の宿泊費ならこれでOK


食べ終わると高校生たちは皆一様に「ごちそうさまでした」と挨拶して退出。スポーツ団体の大人たちは皆一様に「・・・」と退出。どうしてこうなっちゃったんだろ? 大人になると挨拶はしなくていいって教えられたのかな?

 

よく「スポーツをしている人は礼儀正しい」といわれるが、半分は嘘だ。関係者に対する時や競技会場では確かに言動がきちんとしている。しかしそれ以外では全然ダメ、むしろ無礼という態度である場合が多い。そういう人たちや指導者は、体裁さえ整えておけば満足だという考えを持っているのだろう。そんな人たちはごく一部だと思いたいが、一定数以上は存在するのが現実。スポ-ツをしている人を美化しすぎる風潮は、作為を感じて不気味さを感じる。

 

 

回想〜

以前あるスポーツ団体(武道系)の責任者をしていて、他県での試合に役員として参加した。複数の県が参加していたが、どの選手、関係者もきちんと挨拶をする。なのにワタシの県のあるチームの選手たちは、人には挨拶せずに競技場に対しては「お願いします!」と大声。あまりのバカバカしいその行動に呆れて情けなくなり、それを指導していた監督を呼んで注意した。そんな意識高い系のバカに関わるのは心底嫌なのだが、立場上仕方なかった。

 

自分が監督する選手には、絶対そんなマネはするなと厳命すると、「しませんよ、そんなバカなこと」と当たり前のように言われた。かれらが「形から入っただけで心に至っていない」礼儀を軽蔑する態度を見てほっとした事を覚えている。監督がちゃらんぽらんでも選手はきちんと育つんだなあと感心した次第。

〜回想

 

 

などと考えながら食事を済ませ、7:30 出発。

さすがにもう明るい


R3, R200, R199, K11, K277, R495 などを走って 9:30 に軍艦防波堤に到着。ここに来たのは初めてだ。駐車場というものはないが駐車スペースは広くあり、今回は防波堤上に停めることができた。スポットらしく、たくさんの釣り客が来ていた。

 

ここには日本海軍の駆逐艦 3 隻が埋まっている。戦後使われなくなり賠償艦にもなれなかたフネを国民のために役立てようと、土砂を注入して周囲をコンクリで固めて防波堤にしたものだ。

説明板 傷んでいたと聞いていたが、直したのかな

ここに冬月と涼月が眠る

柳だけは露出している 艦首側より

艦尾側より

舷側部

柳の艦首より涼月・冬月がいる部分を臨む

かつての戦闘艦の横で釣り このフネたちはこういう風景を望んでいたのだろうか

 

3 隻の内、涼月冬月戦艦大和の最期の出撃に同行し帰還できた、いわゆる「幸運艦」だ。いのちからがら生き延びた結果、本懐を遂げられずに戦う船としての矜持を奪われてしまう形になってしまうとは。なんとも複雑な気持ちになる。

 

 

近くに石油備蓄基地の広報施設、白島展示館というのがあったので寄ってみた。

10 分前に到着


10 時開館と同時に入館。石油やその備蓄について学習できる施設のようで、地元の小学生の遠足に使うのにはもってこいかな。それでもワタシにとってもいろいろと勉強になるくらいの展示もある。なかなかカネ、かけてるねえ。

 

展望台もあるのでその備蓄基地を一望できると思っていたら、それははるか向こうの島にあり、望遠鏡で見てもかすんで見えるぐらいでしかなかった。それでも写真撮影は禁止。なぜだろう?なんかヤバいものでもあるのかな?と想像は膨らむばかり。まあセキュリティの問題だろうな。

 

広い海にずらりと並ぶ洋上施設を見たかった。数十年前になるが、青森の六ケ所村にある備蓄基地を見たことがある。広大な土地にデカいタンクが並ぶさまは圧巻だったのでここでも期待していたのだが。でもこれだけ陸地から離れていると、さすがに見えないか。

 

交通の便が悪いためか、日曜にもかかわらず客はワタシ以外に 2 人。これを少ないと見るか多いと見るか。萌えキャラやグッズの物販をすればもっと集客が望めそうだが、まあそういう施設ではないな。

 

 

12時前に給油。おっと、ここにもあるぞ、チェーン店の某激安GS。周囲の GS との協調性を全く見せず、独自の価格設定をしてくれているので、今まで何度も助けられた。ここの GS もそう。他 GS より¥10/L 以上安い。唯我独尊の店だな。

 

おかげで店の前の道にまで給油待ちのクルマが並んでいる。ワタシもその 10 台以上の車列に加わりようやく順番が回ってきたら、そこの店員が「食事に行ってきま〜す」と言って、大行列を尻目に出て行った。やっぱり唯我独尊の店だな。

 

 

さあ、給油も済ませたので一気に帰れる。さらば九州。往路は関門橋を通ったので、復路は関門トンネルを通ってみる。ここを走るのは NINJA A8 の時以来だから・・・ええと・・・ 20 年以上前!でも久しぶりに走っても見える景色は変わらない、トンネルだもの、当たり前か。

トンネル入り口は突然現れる



 

山口に上陸してからしばらく R2 を走り、埴生IC から山陽道に入ろうとして料金所に向かう途中、ふとミラーを見ると

なんじゃ、ありゃあ?

秘密基地か?

あとから調べると、宇宙状況監視レーダーだそうだ。宇宙作戦隊の施設の一つだろう。それにしても不自然で異様な光景だ。

こんなものがここにあるなら、防御用の施設も当然近くにもあるはず。どこに何があるのかな〜。

・・・おや?誰か来たようだ・・・

 

 

山陽道での走りは睡魔との戦いに終始した。緩いカーブが続くものの同じような景色の中を走るので、もう退屈で退屈で退屈で退屈で。

 

13時半頃には猛烈な眠気のビッグウエーブが。佐波川SAに飛び込んで昼食。キムチ豚丼旨し。

空腹は眠気を誘うので

 

 

なんとか頑張って走り、17 時過ぎに帰宅。余韻にひたる間もなく、夕飯を食べたりテレビを見たり、同時に洗濯をしたりして、普通の休日の夜を過ごした。

 

 

今回の総走行距離:1052.7km

 

 

本日の振り返り

 

長い間行きたかった軍艦防波堤、自分の目で見られて満足です。北海道の旭浜トーチカでも感じたことですが、戦争の名残が日常生活に違和感なく取り込まれているという違和感がありました。悲劇として語られることなく、かといって英雄視されることもなく、ただ淡々とそこにあるだけということが余計に戦争をリアルに感じさせます。

 

海上を征くフネとして一番忌むべきことは「沈むこと」なのではないでしょうか。防空駆逐艦として激しい戦闘で奮戦するも「大和の護衛」という任を全うできなかった無念さ、敵勢力圏内で大破した絶望感、それを補ってあまりある「本土へ帰還できた」という安堵感。そのような地獄から天国までという振り幅の多い経験をした結果、最終的には味方の手によって人柱(艦柱?)のように沈められて堤にされてしまいました。

 

あくまでも個人的な考えですが、もしワタシが艦なら、除籍処分が戦闘によるものや資源としての船体の再利用のためというのなら納得できます。本分の「戦い」に関係していますから。でも土砂やコンクリートを腹いっぱいに詰め込まれて沈められるというのは「なんでや?!」と言いたくなるでしょうね。

 

結局は国民のために役立ったのだからいいのかもしれません。でも「戦う船」としてはそれで満足だったのかという疑問が残ります。「涼」「お冬さん」(@艦これ1944)に聞いてみたいものです。

 

形を変えながらも国を守り続ける柳・涼月・冬月にねぎらいと感謝の気持ちを。

 

 

復路での睡魔との戦いは一進一退の攻防を続け、今回もなんとか勝利を収めることができました。年々勝つのが難しくなっているのは自覚していますので、次回(GW ツーリング)からは相当の予備時間を確保しておきます(特に往路)。もう洒落にならないぐらい、ヤバイぐらい無理ができなくなっているので。

 

 

次回、1回休みです。

では。