今の職場には今年の四月に転勤で来ました。
でも、まだしっくりきません。
先日、同僚と一戦交えました。あまりにもどうでもいいことをねちねちねちねちねちねちねち言ってくるものですから、堪忍袋の緒の耐久値が限界を突破してつい怒鳴り上げてしまった次第です。
「私が正しいのだ」「この方法じゃないとダメなのだ」という主張は大いに結構。しかし同時に、それを裏付けるだけの深い戦術と戦略を示してほしいものです。それらが無いまま主張だけするのなら、それは自分のアタマと意地の悪さを声高に披露しているに過ぎないということがわからないのでしょうか? おバカで内容がすっからかんの主張をしてこちらに火の粉を飛ばしてほしくありません。それを払う時間と労力が惜しいので。
今の職場では、あまりにも想像力や配慮が足りない言動が日常的に飛び交っているため、雰囲気が悪化しています。でももっと怖いのは、そんな雰囲気に感化され、同じような言動をとる人が増えることです。ゾンビに襲われた人がゾンビ化するように。
転勤を重ねて今が 10 か所目の職場ですが、振り返ってみるとやりがいのある職場とそうでない職場のそれぞれの共通点は
やりがいのある職場:職場全体やそれぞれの個人に一本筋の通った principle がある
やりがいのない職場:枝葉末節にこだわり principle がない
ということに尽きます。
筋が通っていれば
・枝葉の部分は各々の工夫でどうにでもなるので仕事に対して柔軟に取り組める
・問題が発生しても解決までの道が見えやすい
・細かいことにこだわらなくて済むため気持ちに余裕が出てくるので、同僚同士で笑う/笑わせることができ、職場の雰囲気が明るくなる
筋が通っていなければ
・大局や最終到達目標が見えなくなり、目先のことにしか考えが行かず思考が硬直する
・見通しが立ちにくいので安心して仕事に取り組みにくい
・仕事に対する取り組みの拠り所があやふやなので、他人からの評価を気にしすぎるようになる
となるのは自明の理なのに、今の職場では「筋」を通すのではなく「無理」を通すやり方がまかり通っています。筋の通ったやり方で仕事をするかしないかは、性別や年齢で決まるのではなく、もっぱら「個人」の能力(才能や環境、生育歴も含む)に負うところが大きいようです。
そう考えると今の職場は「筋が通らない方法や理念がまかり通っているので、無駄に労力が消費されてしまい、仕事の効率が非常に悪い」という状況下にあります。必然的に職場の雰囲気も良いとは言えず、やりがいという満足度はワタシの経験上最低ランクですね。
さらに悪いことに、それがヒステリックな「忙しごっこ」につながってきています。余裕があるとは言えない状況なのでやむを得ないところもありますが、それにしてもあまりにも多くの人が「忙しい」という言葉を濫用し、多忙さを競っているように見えます。
自分の方が他の人より忙しいのだ、大変な目をしているのだと言いたげに。
そうすることで自分の評価を上げてほしいと言いたげに。
ワタシがまだ新米社会人の頃、先輩に言われたことがあります。
「忙しい」という言葉は使うもんじゃない
と。
理由は2つあって、
・「忙しい」という言葉は「心」を「亡くしている」という意味なので、この程度の仕事で余裕をなくしている、つまり自分は無能だと言いふらしているようなものだ。格好悪くないか?
もう一つは、
・普通、「忙しい」という言葉は自分よりあきらかに多忙な人には使わない。だから同僚に対して「自分は忙しい」という言葉を使うのは、「アンタ、ヒマでいいわね」と言っているのと同じ。相手に失礼ではないか?
というものでした。当時のワタシはかなりのはねっ返りでしたが、この言葉はすとんと腑に落ち、それ以来この言葉は私にとっては忌み語になっています。
そんなワタシの周囲で「忙しい」が hot word になっているのです。正直、反応に困るし耳障りです。
そんなわけで、今の職場は居心地が悪いです。その上今後も、困ったちゃんたちが筋の通らないことや忙しさ PR を言ってくるでしょう。ワタシは自衛隊と同じで、専守防衛を貫いているのでこちらから攻撃することはありません。ただし攻撃されたら相手が後悔するまで徹底的に反撃する主義なので、今後も人間関係でぎくしゃくすることがあるでしょう。さらに居心地が悪くなるのは決定事項のように思えます。
20 代の自分に今の状況を伝えたいものです、30 年経ってもオマエはまだ人間関係で苦労しているんだよ、と。そうすればもっと人間が丸くなっていたかもしれません。
いや、ムリか・・・。余計にガッツを見せてぶつかっていくでしょうな。
つくづく不憫な性分です。
まとまりのない文になってしまいました。次は楽しいことを書きたいものです。明日は晴れ。ツーリングに行こうと思います。
では。