今日から出張。不安しかありません・・・。無事に帰ってこられますように・・・。
東京ステイ、最終日です。どうぞ。
朝 6 時起床。ガルパン目当てで大洗に行こうと思ったが、今回はそんなに長いこと滞在できないので、もっと時間に余裕がある時にとっておくことにする。
では今日は何するか。 ん? いきなり no plan になってしまった。うーむ・・・、はっ、そういえばこんな時のために「行くべき場所」をピックアップしてたっけ。その中の 1 箇所の場所が墨田区。ここから 1km ぐらいのところにちょうど良さげな所があるではないか。散歩がてら寄ってくか。
8 時前に朝食。ここのルートインは、ご飯は美味しいんだけど営業時間が短い。もう少し前倒しで始めてくれないかなあ。2 時間しかないので客が分散せず、休日の割にまあまあ混んでた。
みなさんもこれから御出陣のようで、今日の予定を話しているのが聞こえる。でもワタシと同じところへ行く人は居なさそうだ。ふふふ、ちょっと「勝った」感じ。
さて、出発。8 時過ぎなので空気は涼しく、歩くのは苦にならない。蔵前橋の上は風が吹いてさらに気持ち良し。
これだから東京の街歩きはやめられない。
20分ほどで目的地、山田記念病院に到着。ここにはこんなものがある。
街中に残る戦争の跡。土地や場所に「残っている」のではなく、人が「残している」のだ。廃棄させない、なかったことにしないという強い意志と意地を感じる。あっぱれだ。「艦これ」がらみの情報からはつしもふもふの錨が見られる!と軽々しく思って来たのがちょっと恥ずかしい。
さて、これで用事は済んだ。やはりあっという間だったな。来た道を戻る。日が高くなって来たが、ちょうど歩道が陰になっていて歩きやすい。ちょっとトイレ、と横網町公園という所に入る。
前日が祭りだったらしく、入り口あたりは片付け中だったので
中へ進むと、モニュメントらしきものが多数ある。
何やら立派な建物が。東京都慰霊堂や
復興記念館とある。
関東大震災での犠牲者の慰霊のために作られた施設らしい。こういう場所があるとは知らなかった。今年は震災から 100 年目。そんな年に偶然立ち寄ったのも、もしかしたら呼ばれたのかもしれないな。勉強していこう。
20 分ほど待ち、開館と同時に入った。1F は関東大震災の状況や復興までの経過の展示だ。時代が時代なので、資料は写真か手描きの絵。写真は合成されているし、絵は描き手の感情に左右されていて、むしろそれで生々しくなっている。
現在のような情報ネットワークがないので誤判断もたくさんあっただろうが、情報がない、どうすればいいかわからないという不安と焦りの度合いは想像もつかない。そんな中で、あの時代にあの規模の災害から立ち直ることができたのは、奇跡に近いのではないだろうか。
さらに 20 数年後、東京は壊滅的な打撃を受ける。空襲である。この資料は 2F にある。焼け野原から復興までの経緯がわかる史料だ。どうも国は、この機会に東京を新しい土地計画で一気に近代化したかったようだ。成功はしなかったが、もしうまくいっていれば全く違う街並みになっていたことだろう。
東京を襲ったこれら2つの大惨事の史料を併せて展示している所を他には知らない。多くのことを知ることができ、とてもいい勉強になった。偶然に感謝だな。
慰霊の気持ちでしっかりお参りを済ませると、もう 10時をとっくに過ぎている。
そろそろアキバへ行くか。
太陽はすでに高い位置なので建物の陰はない。その上暑い。それなのに歩いて行くのは体重を減らすため。40 分近く歩く間、お空と路面の両方からの熱で汗が噴き出す。その上、前から歩いてくるのは歩道幅いっぱいになってキャリーケースを押してくる家族連れかカップル。その度に道を譲って足がふらつく。これだから東京の街歩きはやめたくなる。
とにかくアキバに到着。
暑い、疲れた、腹減った。もう 11 時だ。メシ食いに行こ。ということで、萬里へ。「A 定でご飯大盛り!」朝にあれだけ食べたのだが、これだけ歩いたんだ、ガッツリいってもいいだろう。まだ胃には残っていたが、ここのご飯ならスルスルいける。味はしっかりしてるけど脂っこくないからかな。実際、この日もスルスルいけた。
さて、脚の休憩とエネルギー補給は完了した。いざ、宝探しのクエストへ。
・・・高いなあ。秋葉原ではフィギュアは投機対象として扱われているんじゃないか?それも外国人相手に。
以前は
「新作はこれからまだ市場に出るから安く、旧作はもう手に入らないから高い」
というのが定説だったが、今では
「新作は店や転売ヤーがすぐに押さえて市場に小出ししていくので高く、旧作は圧倒的多数となったニワカは知らないので売れない、だから安い」
となっている。
まあそのおかげで、以前の半分以下の価格でお宝が手に入ることもある。「新しいものは高く古いものは安い」という健全な市場原理が成り立っているのはいいことだ、が、あまりにも新作が高くなりすぎている。ちょっと秋葉原に行く熱意が下がって来た。
まあ日本の、それも秋葉原に来る外国人はふっかけ価格をモノともせず買っていくんだろうな。やっぱり値上げの理由は彼らの財布を見込んでのことか。だって同人誌の価格は高騰してないもの。彼らはあまり買わんだろうし。
と思っていたら、金髪碧眼長身イケメンが、一生懸命同人誌を漁っていた、18禁の。その姿には迷いがなく、カッコよかった。彼ら、何やっても絵になるなあ(笑)。
今回の秋葉原探訪では小さいものが数個、トートがひとつ、薄い本が数冊というのが今回の収穫。まずまずかな。
3連休の最終日なので空港は混む、と航空会社からメールが来ていた。 まあ確かにな。 20 時台の出発であったが 17 時には空港に着き、あとはラウンジでコーヒーを飲みながら、のんびりと。今回の旅行を思い返しているうちに搭乗時刻となった。こういう時の時間の流れは早いな。
到着便の機材遅れのため出発が遅れたが大したことはなく、無事に帰宅した。
本日の歩行距離:13.0km
今回の振り返り
東京行き定期便でしたが、この時期には特に大きなイベントもなく、退屈するかなあと思っていました。ですが思いのほか充実したと感じます。都内から出ていないにもかかわらず、たくさんの興味深い展示をじっくりと見ることができたのは、さすが東京といったところでしょう。
なかでも最終日に訪れた横網町公園は強く印象に残りました。東京で多くの人が亡くなったのは戦時中の東京大空襲の時、という印象が強くて、関東大震災はその影に隠れてしまっていました。ここを偶然通りかかり、また、偶然公園内に入り、いろいろな展示を見て震災のことは知ることができて、それはまるで
東京、東京と言うんだったら、もうちょっと東京のことを勉強してからにしな。上っ面ばかり見てるんじゃないよ!
と、粋でいなせな江戸っ子の姐さんにお叱りを受けたような感じです。中野や上野、秋葉原などの観光客があふれるアミューズメント感たっぷりの地でさえも、そういう苦難の歴史を通って来たのでしょうね。いまさらながら東京が存在してきた時間の分厚さを感じました。
はじめはあまり期待していなかった東京行脚でしたが、思いのほかいろいろと印象に残る3日間を過ごせました。今回も大満足です。
持っていく荷物は、最小限でも問題ありませんでした。今まで持って行っていたキャリーケース、私は何を入れていたのでしょうか???
では。