paradoxriderの日記

バイクや車、カメラなどのことに触れていきたいと思います

GW 後半戦、いざツーリング 2024/5/5

さあ、3日目です。郡山で3泊したかったのですが、自宅までの距離と時間、高速道路の渋滞を考えますと、少しでも南下しておいたほうがいいかなと思い直しました。群馬と茨城はこの数年行っているので、今年は日本海側に出て新潟で泊まることにしました。出発1ヶ月前の変更でしたが比較的宿泊代が安いということと、北陸道のほうが渋滞が少なくスムーズに走れるだろうという予想があったからです。

 

実際このルートを使うことで、思った以上に楽しめたのは嬉しい誤算でした。ではその誤算の一日をどうぞ。

 

 

5/5

 

5:00 起床。今日も宿泊客が多いので、朝食は朝イチの 6:00 にしておいた。15 分前に行くとガタイのいい高校生の集団が複数いた。相撲かな?学校はバラバラだったので合同の練習試合だろう。総体が近いので GW を返上しての調整は必要だろうが、先生も大変だな。家庭もあるだろうに。

 

バイキングで料理を取っているのを見ると、皆さんご飯は日本昔ばなし盛り。でもおかずは野菜中心だった。さすがアスリート、油物や肉類はセーブしているようだ。ワタシはといえばこの通り。

緑のものがないねえ

いいのだ、アスリートじゃないし。好きなものを好きなように食べるのがストレス減少になると固く信じている。

 

 

しっかり食べたらすぐ出発。今日は福島から日本海側へ向かう。間違いなく混むだろうから、その前に猪苗代湖あたりは通過しておきたい。7 時前にチェックアウトし、R49 を西進する。幹線道路だから退屈さを覚悟していたがまだ交通量は少なく、高度を上げていく山道もストレス無しでイイ感じ。ふとメーターを見ると、燃費が良くなっていることに気づいた。リッター 23km を超えている。この数回レギュラーガソリンを入れたのがよかったのか?でも高いギアのままアクセルを大きめに開けると軽くノッキングをするようになった。次はちゃんとハイオクを入れよう。

 

 

坂道が一段落すると、猪苗代湖磐梯山が見えてきて、穏やかな湖と荒々しい姿の山がいいコントラストになっている。天気が良かったのでその景色を満喫しながらのんびり走る。

広いなあ さすが日本第4位!

磐梯山 学生時代のツーリング定番コース



道の駅猪苗代でトイレ休憩。まだ早い時間帯なのにクルマがたくさん。特にキャンピングカーが目立った。場所といい天気といい、キャンプには最高のシチュエーションだろうな。トイレへ行こうと思って歩いていると、手が滑ってヘルメットを落としてしまいマット塗装が一部剥がれてしまった。ようし、これでメットの慣らしは終わったぜ(泣)。これは何かの警告かもしれないな。気を引き締めていこう。

 

 

後から気付いたのだが、このあたりから会津若松にかけては戊辰戦争がらみの戦跡が多いはず。でも国道沿いにはその案内の看板は見当たらなかった。賊軍扱いだったからあまり知られたくないのかもしれないが、近代史に残る出来事には違いないので大事に保存してほしい。白虎隊だけにその名残を任せるのではなく。

 

と思っていたら、ずっと以前に来たあの場所を思い出し、無性に行きたくなってしまった。計画では、 R49 をそのまま進み新潟まで出てから海沿いを南下するというものだったが、変更。混雑した会津若松会津坂下を過ぎてから R252 に入る。

 

この道はゆったりとしたカーブが続く、イイ感じののどかな地方国道だ。何度か走ったが、いつ来ても癒やされる感じがする、バイクツーリングにはもってこいの道だと思っている。景色もいいしね。こんな道は目を三角にして走らずに、沿道の風景を楽しみながらのんびり行くのが正しいな。天気も良く、非の打ち所のない走りの時間を過ごせた。 ここもワタシ道だな。

 

しばらく走ってちょっと寄り道。

ここに停めて、っと

アーチ3兄弟

手前から県道、JR、国道の3つの橋。こんな谷あいの土地に橋を作るのは大変だっただろうな。東西を結ぶ交通の難所だったことがわかる。

 

 

川沿いの道を楽しんでいると、目的地の河井継之助記念館が見えてきた。ここの駐車場は道沿いにあるのだが、看板はあるものの少々わかりにくい道を通ると記念館前の駐車場に到着できる。この案内は要工夫かな。

第二駐車場から見た只見川 これも美しいが紅葉シーズンに来てみたいものだ

館内 広くはないが充実度は高い

小説「峠」の作者 でも来たのは執筆が終わってかららしい

山塩資料館 山で採れる塩は珍しい たしかブラタモリで見たような・・・?

河井継之助君終焉之地」の碑

裏面には発起人の名前が 同じ長岡出身だからか養父の主人だからか


以前にも来たことがあるが、なかなか心を動かされる展示もあり、1 時間あまりを過ごした。戊辰戦争がらみのことがよくわかり満足して退館しようとしたら、ちょうどガイドの説明が付くと言われ、もう一度ぐるっと見て回った。このガイドさんはウラ話などを交えて説明してくれたので更に理解が深まっただけでなく、終わったあと個人的に質問すると、まあ話が出るわ出るわ!持っている知識とその組み合わせ、自分の考えなども交えて答えてくれるのでついつい引きこまれてしまい、さらに 1 時間半が経過してしまった。最後に河井継之助山本五十六は、長岡では好かれているとは限らない」ということを聞いたので、後者の記念館に行ってみることにする。

長居している間にみんな帰っちゃった



途中、只見駅に寄ってみる。 5,6 年前に来て以来の来訪だったが、駅前はすっかり様変わりしていた。宿が増えていたりオシャレな観光案内所ができていたりで、復活した只見線が注目されているのがよくわかる。

でもやっぱり旧字体

進む先には雪が


駅舎の中にあった売店は観光案内所に移っており、そこでお目当ての品(秘境羊羹)を購入して 30 分ほど周囲をうろついたあと、西進を続ける。

 

 

さあ、いよいよ六十里越の道に突入だ。田子倉ダムが見えるあたりからは道の様子が一変する。

以前はもっと田子倉ダムに近づけたのだが ここからはお楽しみロード


なかなかに険しい雪国の山岳路だ。つい 1 週間ほど前まで積雪による通行止めだったのも頷ける。ちょっと頑張って GT にムチを入れてみた。フルパニアのためムリはできないので、まあ程々ではあるが。田子倉レイクビューまで一気に駆け上がり駐車場に入るがほぼ満車。絶景を楽しめる場所なので当然か。

ちょうどこのポジションが空車 ここも絶景

さて、あとは山を下って長岡まで行こう。

途中からの風景 天気が良くてよかった!



迷いながら長岡市に入り、これまた迷いながら山本五十六記念館へ。

街なかにあるのでむしろわかりにくかった

館内は撮影禁止なので内部を紹介することはできないのが残念だ。単に海軍の堅物のおエライさんというわけではなく、いろいろと逸話には事欠かない人で、ユーモアがあり広い視野ももっていたということは知っていた。さらにここへ訪れるコトで、軍人という立場としてではなく個人としての山本五十六本人のことを知ることができた。

 

でも河井継之助戊辰戦争で長岡を戦火に巻き込んだ張本人、山本五十六は生きていれば戦争犯罪人になった可能性のある人物だと考える人も少なくない。なのでこの二人を地元が産んだ傑物と評するのは、長岡市民の中でも抵抗を感じる人がいるだろう。なかなか難しい問題だな。

 

 

さて、そろそろ上越市の宿に向かおう。予定より遅くなったので長岡 IC から高速に乗って

途中でトイレ休憩


上越 IC で降り、本日のお宿上越サンプラザホテルへ。近くに店がないのでコンビニで食料を調達してからチェックイン。

お値打ち宿だった

 

あとはいつものようにだらだらと。

 

 

本日の走行距離:330.6km

燃費が良くて助かる

 

 

本日の振り返り

これで福島の浜通りから中通り会津と走ったことになります。浜通り放射線量が問題視されていた頃には、その風評被害で猪苗代にある野口英世記念館はガラガラ。店の人と話すと「ここは大丈夫なのにねえ」と愚痴をこぼしていました。あれから 10 年近く立った今、観光客やアウトドア客で大賑わいになっています。復興の成果が現れているのを見て安心できた反面、それだけに前日に見た大熊町双葉町の様子がより痛ましく感じました。でも一歩ずつ、いや、半歩ずつでもいいので、とりあえず前に進んで欲しいと思いますし、その様子を見せてもらいにまた来ようと思っています。

 

R252 を走るのは久しぶりでした。去年まではまだ通行止め期間だったので。今年はたまたま新潟で宿をとっていたので「通れればラッキー」程度にしか思っていたかったのですが、開通していてよかったです。それでも通行可能から1週間しか経っていないので残雪の恐れもあり、「もし通れなければ引き返せばいいや」とハラをくくって行ってみたら、路面に雪は全くナシ。暑いぐらいの気温上昇のせいか、神様のご配慮か。いずれにしても山岳ワインディングを満喫できて満足です。でもあまりにも走りに熱中しすぎて、六十里越の石碑を素通りしてしまったのが残念ですが。さて、来年の福島からの帰りは新潟経由、日光経由、茨城経由、どれにしようかな?(鬼大爆笑)

 

 

続く。