さて、17回目、山梨です。
初めて行ったのは ワタシが 17 歳の時、高校 2 年で行った修学旅行の時でした。修学旅行の行き先決定発表で先生が山梨と言った時の生徒の反発ときたら・・・。
「やまなしぃ?どこにあるの、それ?」
「なんでぇー!!」
「そんなん、行きとないわぁー!!!」 (山梨の皆さん、ゴメンナサイ)
という悲鳴と怒号がわき起こりました。当時は1学年8クラス(380 人ぐらい)あったのですが、その生徒全員が同時に声を上げたので、まるで信玄公の騎馬隊が一斉に鬨の声をあげたかのよう。
ただ賢い奴もいて、そいつが「山梨って富士急ハイランド、あるんじゃね?」と言うと、叫び声が一転して歓喜の声に。そこで先生が一言。
「そこへは行かん」
ではどこへ?
「富士山だ」
うん、まあそれならいいかな、と思ったワタシたちに先生が言葉をかぶせます。
先生:「上まで登るわけではないぞ」
生徒:(そりゃそうだろうよ)
先生:「五合目まではバスで行くから」
生徒:(楽勝じゃん)
先生:「ただし下りは徒歩だ」
生徒:「えええええええええ」
先生:「舗装していない登山道でな」
生徒:「えええええええええええええええええええええええ」
先生:「やかましい!」
ここで我らの代弁者、学級委員登場です。
「修学旅行なのにそれはないんじゃないんですか?」
よく言った!!
先生:「は?うちの学校は修学旅行じゃないぞ」
生徒:「は?」
先生:「至誠合宿だ」
生徒:「は??」
先生:「だから向こうでの活動は体操服だ」
生徒:「えええええええええええええええええええええええ」
先生:「やかましい!!」
生徒:「でもホテルに泊まるんでしょ?」
先生:「いや、富士緑の休暇村、合宿施設みたいなとこだ」
生徒:「えええええええええええええええええええええええ」
先生:「やかましい!!!」
時は昭和、先生には生徒の意見を聞く耳は皆無。なので生徒もあっさりしたもので、「ま、なんとかなるだろう」と速攻で諦めモードに入りました。
さて修学旅行2日目。前日には雨が降り、「当日に雨が降ったら東京見物な。」という先生の言葉に一縷の望みをかけました。富士山の泥道行軍と東京自由見物では天国と地獄、もとい、地獄と天国です。休暇村のうっすい布団の中で、400人近い若人が一心に願いを捧げ、その結果、
曇り
という中途半端な天気となり、無情にもバスは富士山に向かいます。曇っていたので見えるのは山腹のみ。さらに道がくねくねだったのでリバースする人が数名、それを見て「もらっちゃった」人が数名、そのかほりで「もらっちゃった」人が多数。乗車人数の半数がリバース状態という大惨事になったまま到着しました。
駐車場は一面の霧で何も見えません。でも先生は無情にも進軍の号令をかけ、我が連隊は下山を開始しました。
想像してみてください。雨上がりでぬかるんだ、火山灰混じりの泥濘の登山道。人ひとり分ぐらいの道幅で急勾配です。まともに下りれるはずがありません。ひとりが転ぶと、先行する数名の生徒たちをなぎ倒すさまはまるでボウリング。笑っていると次は自分がピンになったりするので気が抜けません。数時間経ってバスの待っている駐車場着いた時には、全員が罰ゲームレベルのどろんこ状態に。おかげでその夜はよく眠れました。
翌日のメインイベントは「サントリー山梨ワイナリー」。なんで未成年の高校生にそんなとこへ行かせるのか疑問でしたが、当時のピュアな高校生は、先生の「山梨はぶどうの産地で有名で、ワインという加工品も作っているという現状を知るためだ」という 言い訳 説明に納得したものです。今にして思えば、あれは絶対に先生たちのための企画だったんだろうなあ(確信)。
それでも見学はおもしろかったです。こんなの見たことなかったですから。そのあと一行は流れるように土産物売り場へ。当然買いますよね、ワイン。当時は高校生でも普通に買うことができました。ほとんどの生徒は3本パックになっているお買い得セットを買い、不届き者のご乱行を防ぐために買ったワインは名札をつけて先生預かりとなりました。ただアタマの回る一部の不届き者はバラで買って部屋に持込み、夜には宴k・・・・、いや、暴露話はこれぐらいにしときましょう。
今から40年前の話でしたが、ワタシが買ったワインは本棚の奥深く、冷暗所に横倒しにして置いたままです。今ではどうなっているのやら。ビンテージものになってたりして。
というのが山梨初体験の思い出です。その後バイクで走るようになってからは、関東地方のツーリングの要としてよく立ち寄るようになりました。宿泊地の多くは甲府か石和温泉です。そこを拠点としてあちこち行きました。
雨に煙る昇仙峡へ行って水墨画のような景色に感動したり、当時その近くにあった秘宝館に行って感動したり。
今では「ゆるキャン」でメジャーになった笛吹公園へ一面に広がる桃の花を見に行きましたが、時期が早くて代わりに桜がお出迎えしてくれたり、
そこから南下していく途中の川沿いにも桜があり、いい雰囲気を味わえたこともありました。
コアな所ではおいらん渕(写真がないのが残念です)。今では行くことができませんが、当時はすぐ横まで行くことができ、みなさんのご冥福をお祈りしたものです。旧跡なのにそこまで行く道を廃道にしてしまい立ち入れないようにしたのは不思議でしたが、やはり負の遺産だからでしょうかね。
食べ物で言えば、まずは富士吉田での吉田のうどん。いろいろな具が乗っているのが特徴なので、プレーンな讃岐うどんとは一概には比べられませんが、コシの強さという点においては讃岐うどんのほうが上品系だと思います。
あとは、ほうとうかな。
少し冷える時期に最高ですね、これ。でも真夏に吹き出す汗をぬぐいつつ食べるのも悪くありません。イナカの美味しい煮込み料理(褒め言葉です)という感じがして、ワタシは山梨へ行ったら四季を通じて熱々のほうとうを食べるのを躊躇しません。
最後に、コレだけは忘れちゃいけない富士山です。いろんなところから見ましたが、一番のお気に入りは
から見た富士山です。
早朝に到着して景色を堪能し、冷たい山の空気を満喫し、好きなだけ写真を撮り、観光客が来始めた頃に撤収というパターンです。だいたい数時間は過ごしますねぇ。どれだけ居ても、光の当たり具合で変わる景色に見飽きることはありません
問題はトイレがないことです。天下茶屋はまだ営業していない時間帯なので要注意。それでもしたくなったら?下山するしかありません。なのでいつもここに行く前に必ず済ませていきます。公衆トイレ、作ってくれないかなぁ、でも今の状態だからあまり人が来ないのかも、なら今のままでいいかと身勝手なことを考えるワタシ。
山梨といえば信玄公なのでしょうが、戦国時代について疎いワタシにはあまり興味が湧く対象ではありません。どちらかといえば東西南北どちらに行っても楽しいという、ターミナル的な存在かな。最終目的地ではないけれど、泊をつけて「プチうろうろツーリング」をしたいと思わせる所という位置付けになっています。
歴史的にもメジャーで地理的にも有利なはずなのに、個性の強い県に囲まれているために今ひとつ存在感がありません。ということは、まだ注目されていない、未開発スポットが眠っている可能性が充分にあります。今後も行ってみる価値がありそうです。GWツーリングにぶっ込んでみてもいいな。
では。