paradoxriderの日記

バイクや車、カメラなどのことに触れていきたいと思います

日本紀行 第12回 茨城

天気が安定方向に戻り、太陽の光に夏を感じはじめました。 ジリジリと照りつける日光がうっとうしく感じる季節までもう少し。それまで今の穏やかな気候を楽しんでおきますか。

 

週末はバイクで出かける予定でしたが、天気予報では雨。 前週は1ヶ月ぶりにバイクを動かすことができたので、今週は一回休みにしておきましょう。 来月はオイル交換とツーリング前点検に出すので、それまでにもう1回乗っていればいいかな。

 

ゴミ捨てや買い物を兼ねてクルマで出かけることにします。

 

 

 

さて、前回で北陸地方は制覇したので、今回から関東甲信越地方での振り返りです。トップバッターをつとめるのは、茨城(イバラ)です。

 

 

ワタシが初めて行ったのは、18 歳の時の 1月31日、大学入試の時でした。この県についての知識は

 

・東京の上にある(社会の先生が聞くと「北」と言えと怒りそう)

・日本第2の広さの湖、霞ヶ浦がある

・海軍航空隊があった(祖父母が昔いた)

・空自の百里基地がある(「ファントム無頼」で知った)

・つくば万博が開かれる(当時)

 

という程度でした。

 

 

新幹線、山手線、常磐線と乗り継ぎ、土浦へ。そこからタクシーで学園都市までいきました。当時はまだ賑わっていませんでしたが、道だけは立派。 民家もない林の中を走っていくと、突然近代的な建物群が。 まるで秘密基地のようでワクワクしたことを覚えています。

 

こんな不自然な場所は大好きなので、頑張って試験を受け、見事に合格をキメてしまいました。

 

それから 4 年間、人生最高のキャンパスライフとバイクライフをエンジョイできたのは幸せだったと思います。

 

 

もちろん苦労もありました。

 

その 1    言葉がわからない

西日本の人間にとって茨城弁はハードルが高いです。東北弁ほどではありませんが、口をあまり開けずに早口でしゃべるので、まずヒアリングでつまづきます。若い人との会話ではさほど問題はなかったのですが、 ジジババ 茨城ネイティブ歴の長い人の発話は、ワタシには

「 '#&)$)%="%~="(&$%!==$~%~~% だっぺ。」

としか聞こえません。

 

最初にその洗礼を浴びたのは、バイクの免許を取るために自動車学校へ行った時でした。まだ茨城に来て1ヶ月ぐらいだったので、教習中の教官の指示なんてチンプンカンプン。

 

教 官:「〒€→6|☆€×々\ 、だっぺ?

ワタシ:「(???)はい。」

教 官:「☆×○#6々^^*€、 だっぺ。

ワタシ:「 (????)はい。」

教 官:「んじゃ、もいっかい。」

ワタシ:「あ”、 あれ?」

教 官:「さっき言ったっぺよ〜!」

 

わからんわっ!

 

「だっぺ」は文章の終わりの合図ということは把握できたのですが、時々「だへ」に活用変化することもあり、この言語の理解には難儀させられました。

 

そんなワタシもこの地で生活していくうちに徐々に耳が馴れてきました。さらに当時出入りしていたバイク屋のご主人やそのご母堂と話しているうちに、単語やアクセント、イントネーションが分かりはじめ、2年生になる頃には第3外国語としてマスターし、茨城弁をあやつって原住民の方々と歓談できるようになりました。

 

Uターン就職した時には、今度は言葉が元に戻らず困りましたが。

 

 

その 2    「つくばおろし」がキツい

入学当初、上級生たちから言われましたが、「んなこと言ったって、所詮は風だろ?」と腹の中ではせせら笑い。しかし寒くなるころにはその言葉の意味が痛いほどよくわかりました。

 

大学の向こうには筑波山が見えています。てことは、風上に向かって進まなくてはなりません。

 

が、

 

進めないのです。

 

そりゃあ群馬ほどではないのかもしれませんが、こちとら温暖な四国で生まれ育った身。「風が強い」といっても髪が乱れたり服がパタパタする程度の経験しかありません。

 

ところがこちらの風ときたら、ほとんど「空気の壁」でした。それがぶつかってくるのですから、 当時 70kg 近くの体重の私でもしっかりと地面を踏みしめないとふらついてしまうほどです。

 

厨二ウイルス保菌者だったワタシは、風を弾雨に見立て、

「あの壁まで走れ! あとは俺にまかせろ!!」

と脳内で何かと戦いながら、自分を鼓舞して通学していました。

 

こんな黒歴史があったことはここだけの秘密です。

 

卒業してから 10 数年後、3週間ほど研修のため筑波に滞在していました。休日に自転車で出かけたことがあるのですが、ペダルも軽く速い速い。借りものでしたがいい自転車なんだなあと思って 30 分ほどサイクリングを楽しみ、大学近辺をうろうろしてきました。

 

さて帰るかという段になって、なぜ往路があんなにも快適だったのかを瞬時に理解しました。

 

そう、風下に向かって走っていたからです。

 

ということは、帰りは風上・・・。

 

進みません、というか、漕げません

 

踏んでもペダルが動かないのです。それでもじりじりと前進を続け、何度か降りて押したり自転車を投げ捨てたい衝動を抑えたりしながら、何とか宿舎に到達。

 

所用時間、2時間でした。なにかの罰ゲ-ムをやり終えた充実感と疲労感、多量の乳酸がおみやげとなりました。

 

 

その 3 麺類のだしが濃すぎ

まあこれは茨城に限ったことではありませんがね。西日本出身者の苦情あるあるです。

ダシが黒い

ということを聞いてはいましたが、実際目の当たりにするとショックでした。ワタシは麺類のス-プはすべて飲み干す派ですが、初めて茨城で蕎麦を食べた時は塩辛すぎてさすがにムリでした。ならばうどんで、と思ってチャレンジしましたが、もっとムリでした。

 

そもそもビジュアル的にアウトです。あの白くたおやかな麺が 1 センチ下が見えないほどの墨汁のごとき黒いツユにまみれるなど言語道断。これはうどんに対する冒涜です。

 

しばらくは麺類から遠ざかっていましたが、そのうち舌が茨城の味に慣れてきたせいか、だんだん食べられるようになり、汁を飲み干せるまでに。「これはこれでうまいな」と感じるようになって、無事茨城人の属性をゲットすることができました。

 

近年では健康志向と味の標準化によって、だいぶダシが薄くなりました。でもそうなるとかつての「黒いダシ」が懐かしくなります。もう一度あの塩辛いダシを「うえぇ」と思いながら味わってみたいなあと思う今日この頃です。

 

 

学生時代の4年間、茨城県のあちこちをバイクで走り回りました。

 

よく行った(今でも行っている)ところは

筑波山神社

 

筑波山(ロープーウエイ乗り場)

偕楽園

 

大洗 学生当時は今ほどメジャーな場所ではなかった

 

暇を見つけては走り、授業をサボっては 暇を作っては走り、行ったことのないところはないくらいです。それでも時間が経てば新しい見所は増えるし景色は変わるしで、いつ行っても新鮮に感じます。関東近辺に行けば茨城に立ち寄ることが多いのも、自分の中でその地の情報をアップデ-トさせたいからなのでしょう。

 

ワタシにとって茨城は、一番自由に振る舞って、一番多くのことを経験し、一番濃密な時間を過ごせた場所です。 第2の故郷であり、聖地なのです。 「魅力的でない」とか「イナカ」とか「名産が納豆とか干し芋って(笑)」とか言われていますが、そんなものもひっくるめて大好きな県です。

 

茨城の認知度が高まってほしいと思う反面、「オレだけがわかっている、茨城県の魅力」という気持ちも捨てがたく、まるでアイドルを推すファンの心境です。

 

今回の GW 時にも立ち寄りましたがあまり満喫できなかったので、茨城成分が足りていません。 次に東京へ行く時に、ついでに行ってみようかな。

 

 

 

ではまた。