一週間の中で火曜が一番しんどいです。やらなければならないこと、気を遣わなければならないこと、体や口を多く動かさなければならないことが一斉に来る日なので。
ちょうどガイア・オルテガ・マッシュ( from ガンダム)を相手にするようなもので、こちらが段取りを誤るととっちらかってしまいます。
今日はうまく対応できました。ワレラ・ロリ-・コンダ (from マクロス)を相手にするみたいに軽く手玉に取ってやりましたとさ。しかし、このネーミングセンス・・・
この山を乗り越えても、週末までが長ひ・・・。
8日目です。
6時半起床。朝食は 7:30 からで遅めだが、今回は 7:15 と少し早くなっていたのはありがたい。ここは朝食も素晴らしい。日本昔話盛りで二杯。
中国人グル-プも複数泊まっていた。ここは電話でしか予約を受け付けないし、車でしか来られない所にあるのだが。今問題になっている国際免許をもってレンタカ-で来たのか。そんな輩相手に事故らないよう、気を引き締めて走ろう。
部屋でカッパを着て万全の状態で 8 : 15 出発。予定通り D442 , R238で湧別に戻り屯田兵のお勉強の復習。当時の記録を見ていると、彼らの成し遂げた開拓という事業がいかにスケ-ルが大きかったのかがわかる。
ただ、もちろん並外れた苦労もあったのだろうが、資料からはあまりそれが感じられない。現代の我々はリスク管理を考え、先々のことも考慮した上で相応の準備をし、いざという時のために退く道も考える。しかし当時の人たちはそんなことを考えられる余裕はないので、イケイケドンドンで犠牲上等と言わんばかりにとにかくやってみた結果、今の北海道ができたのではないか。苦労のリミットが現代より高かったのだろう。先人たちの原始的タフさには見習うべきところがある。
この地にゆかりのある、合気道の創始者植芝盛平の資料は1枚しかなかった。昨年はもっとあったと思うのだが…。
しっかり堪能して 10:30 発。R238 で「道の駅サロマ湖」で旗購入。「安全運転」の横に「そだね-」と書かれてある。ここは北見市だったことを初めて知る。
途中でハーレー3台組と会う。ゆっくりめのペ-スで走っていたので抜くと、赤信号
のため停止線で待っている私の前へ知らん顔をして出る。それが数度。彼らには他車の後ろについてはいけないというル-ルでもあるのか?直線はゆっくり、カ-ブで加速ということを繰り返すと馬鹿どもは引き下がった。こんな輩はお家でバイク相手にマ〇タ-ベ-ションでもしてろ。
網走を越え、R244 , R334で「道の駅うとろ・シリエスク」に寄る。途中でレ-ダ-パトカ-に出くわすが、対向車のパッシングで助かる。ここでお土産購入。送料1,000円はありがたい。ばらまき用のお菓子とジビエ系の缶詰を多数購入。これは酒飲みの人たち用の土産とする。
バイク置き場で沼津ナンバ-のハヤブサ氏としばしおしゃべり。「タイガ-、好きなんですよ」とべた褒めしてくれたが、よくよく聞いてると 800 のことを言っていた。1200 のことは知らなかったらしい。やはりここでも・・・。この6年間で私のバイクを見て一発で名前を言い当てたのは、私を筑波山で捕まえた白バイ隊員だけだ。
知床峠は霧の中。頂上の視界は皆無だったので、ハザ-ド点灯走行で素通り。R335 , R244 , D774で中標津のビジネスホテルさとうに 16:30 着。ご主人もバイク乗りということで、濡れネズミにすかさずタオルを出してくれるなど、さすがわかってらっしゃる。この宿、当たり。今日の夕食はセイコマで大きなおにぎり。うまし。チ-ズおかかは至高だった。
327.2km
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10代のころに読んだバイク雑誌で、日本のバイク乗りのマナ-の悪さが書かれていました。曰く、「欧米ではバイクの値段が高く、乗っているのは年齢が上の人や社会的な地位のある人である。日本はバイクが比較的安価であるため、運転者に若者が多いというのがマナ-の悪さの原因である」。
今のバイク乗りの平均年齢は高くなりましたが、それでマナ-向上になったのでしょうか。上述のハ-レ-乗りだけではなく、無駄に駐車スペ-スを占有する団体、ヘルメット片手にGメン75歩きをする団体、黄線オ-バ-でファミリ-カ-を追い越す団体、みんなヘルメットを脱ぐと頭髪が年齢を証明する人たちでした。
こんなバイク乗りを見た親が子供にバイクを許すとは思えません。今、若者のバイク離れと言われますが、それを引き起こしたのはバイク乗りかもしれません。バイクに乗るときはそのことを忘れないようにしたいとつくづく思いました。それくらいこの年の北海道のバイク乗り(特にマス)はひどかったです。
続きは今度。
では。